渡辺了著書 「国東半島六郷満山の伝承 景勝と仏の里」 昭和 59年6月発行
四、六郷満山の伝承
1、桂川にまつわる伝承
(イ)金水銀水と黄金淵
昭和十二年の春うららかな日曜日に、教え子と共に金水銀水を求めて、西叡山にわらびとりに出かけた。
日本三叡山の一である、西叡山の山頂(五七一メートル)より八合目と思われる金水銀水をめざして、桂川の支流山田川に沿って、十名近くの子どもと共に、幸福物語の「青い鳥」を探し求める喜びと希望に溢れて、学校を出発したのは午前九時頃であった。
古より伝えられてきた金水銀水に行った人は、里人のなかでも殆んど穫であった。
西叡山の奥の院といわれてきた金水銀水は、山田川を流れて本流桂川にそそぎ、この深渕を昔より黄金渕と呼ばれてきた。
この金水銀水を探し求めるために、夏休みのIケ月間を費して、西叡山を中心とした犬模型地図を作成した。
この模型地図は、現在豊後高田市の河内小学校に保存されている。五千分の一、二千五百分の一の地図を求めたり、作成したりして、周到な準備をして出発した。
山田川の峡谷に沿い登るにつれて、水の流れも少くなり、峡谷に添って高い岩山がつづき、この岩壁には大きく割れた岩穴がいくつもあって、奥深く薄暗い不気昧さが漂っている。この山には大蛇の伝説かあり、大きな蛇を見た人が何人もいて、噂は次々と人の耳に伝わっていた。
大きな好奇心と、小さな不安にかられながら、山頂をめざして登るうちに、いくつかの重なり合ったような、大きな岩山が左斜め上に見え始めた。 |
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多分この岩山の間に金水銀水があると信じて、急な傾斜面を滑り落ちないように、お互に励ましあいながらやっとの思いで岩山にたどりついた。
見上げる大きな岩山の重なり合ったところに、奥深い洞穴があった。
この洞穴の入口の反対側の岩には、古い石の仏が祀られてあった。洞穴の人□は狭いが、中は広くなって大きな泉水のようで、美しい水が漂っていた。
前面の山々の木立を縫って、茂みの開から太陽の光線が泉に差し込んで、金色銀色に輝いていたことがわかった。古代山岳信仰の時代から、永い年月の間この洞穴の泉が、金水銀水の霊水として、永く信仰の源泉として生かされてきたことが偲ばれた。
伝えられるようにこの岩窟の洞穴こそ、まさに西叡山の神霊としての奥の院にふさわしいものと思った。
不恩義なことに、五七一メートルの山頂近くの岩窟の洞穴に、どうしてこのような美しい水が漂っているのか、不可思議は一段と深まりを増した。
この金氷銀水を源流とした山田川が、本流桂川に流れ込む深淵を、黄金淵(こがねぶち)と伝えられていることも、深い謎に包まれた不可思議の伝承である。
この黄金渕で身を浄め、金水銀水を神仏の霊水として、心身の浄化と修験に励んだ古代人の面影が偲ばれる。
この金水銀水は、仁聞菩薩の「隠し水」とも伝えられている。
神秘と驚異に包まれて、全員しばし無言でいたが、私の励ましで全員交互に洞穴に入った。現代この秘境を訪れた者は極めて稀で、探し求めるのに、非常な困難をともなうことが人々の間に伝わっていた。それに大蛇のこともあって、人々は容易に足を運ばなかったそうである。
子どもだちと共に、千古の秘境を訪れた感激と喜びに満ち溢れ、わらび取りも忘れて帰路についた。 |