2013年4月24日  金水銀水・戸無し戸の口  tonasi-tonokuchi
豊後高田市

金水銀水のほど近くに「戸無し戸の口」と呼ばれる奇岩の存在が知られている。本来、「戸無し戸の口」と「金水銀水」はセットで、西叡山高山寺の奥の院とも伝えられている。

金水銀水の尾根瘤を後に、山頂に向かって左手の瘤中央を左に巻くように登ると、瘤頂上に上がる。先ほど、私と河野英男さんが登っていたあたり。あらためて登ってみると、超絶景が広がっていた。

豊後高田市の市街地とその向こうに周防灘の青い海が広がっている。また、遠くに見える山々は、御許山や雲ヶ岳だろうか。

おっと、私たちは、高いところに登れば「戸無し戸の口」が見えるはずと登ってきた事を忘れるところだった。さて、金水銀水の尾根瘤方向に見える筈とあたりを見渡す。

下の画像の左下あたりに辛うじて確認できるが・・・・


もう少し上(画像左方向)にのぼって行けば、岩壁に口を開けた「戸無し戸の口」がしっかり見える筈と、石ゴロの斜面を這い上がる。

茂った木が視界を邪魔してなかなか見えない。河野清一さんが、良い場所を見つけてくれた。少し邪魔になる枝を払っていただき、念願の「戸無し戸の口」を確認できた。
それにしても「戸無し戸の口」とは、なかなかセンスの良い命名である。

ここから見れば、薄い尾根瘤に貫通する穴が開いており、穴を通して向こうの景色が見えている。どちら側が「戸無し」で「戸の口」なんだろう?なんて、不謹慎な疑問を口に出してしまった。

昔、西叡山の麓にある天台寺院の岩脇寺の僧侶が、修行のために一週間この穴に籠もったと聞くが、どこからこの穴に行けるのだろうか?



二度目の探索で見事金水銀水にも戸無し戸の口にも辿り着けた。この幸運と強力にサポートいただいた豊後高田市の皆さんに感謝します。
ありがとうございました。

さて、今度は、「戸無し戸の口」を見るだけで無く穴に入ってみたいですね。次の探検目標は、「戸無し戸の口」ですね。

帰路、「戸無し戸の口」の壁が聳える下の谷へ下ってみた。うっそうと茂る樹木の間から岩壁沿いに見上げると、微かに先ほど上から見た穴が見えた。今、「戸無し戸の口」の真下に立っている。次は、この穴に足を踏み入れてみたいと強く思う。


お天気のも恵まれて、人にも恵まれて、チャンスにも恵まれて、最高の一日でした。



以下の画像をクリックすると、グーグルアースで移動軌跡が見られます。
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以下に、金水銀水に関する伝承を知ることが出来る。


渡辺了著書 「国東半島六郷満山の伝承 景勝と仏の里」     昭和 59年6月発行

四、六郷満山の伝承
 1、桂川にまつわる伝承
 (イ)金水銀水と黄金淵



 昭和十二年の春うららかな日曜日に、教え子と共に金水銀水を求めて、西叡山にわらびとりに出かけた。

 日本三叡山の一である、西叡山の山頂(五七一メートル)より八合目と思われる金水銀水をめざして、桂川の支流山田川に沿って、十名近くの子どもと共に、幸福物語の「青い鳥」を探し求める喜びと希望に溢れて、学校を出発したのは午前九時頃であった。
古より伝えられてきた金水銀水に行った人は、里人のなかでも殆んど穫であった。

 西叡山の奥の院といわれてきた金水銀水は、山田川を流れて本流桂川にそそぎ、この深渕を昔より黄金渕と呼ばれてきた。
この金水銀水を探し求めるために、夏休みのIケ月間を費して、西叡山を中心とした犬模型地図を作成した。
この模型地図は、現在豊後高田市の河内小学校に保存されている。五千分の一、二千五百分の一の地図を求めたり、作成したりして、周到な準備をして出発した。

 山田川の峡谷に沿い登るにつれて、水の流れも少くなり、峡谷に添って高い岩山がつづき、この岩壁には大きく割れた岩穴がいくつもあって、奥深く薄暗い不気昧さが漂っている。この山には大蛇の伝説かあり、大きな蛇を見た人が何人もいて、噂は次々と人の耳に伝わっていた。
大きな好奇心と、小さな不安にかられながら、山頂をめざして登るうちに、いくつかの重なり合ったような、大きな岩山が左斜め上に見え始めた。
多分この岩山の間に金水銀水があると信じて、急な傾斜面を滑り落ちないように、お互に励ましあいながらやっとの思いで岩山にたどりついた。
見上げる大きな岩山の重なり合ったところに、奥深い洞穴があった。

 この洞穴の入口の反対側の岩には、古い石の仏が祀られてあった。洞穴の人□は狭いが、中は広くなって大きな泉水のようで、美しい水が漂っていた。
前面の山々の木立を縫って、茂みの開から太陽の光線が泉に差し込んで、金色銀色に輝いていたことがわかった。古代山岳信仰の時代から、永い年月の間この洞穴の泉が、金水銀水の霊水として、永く信仰の源泉として生かされてきたことが偲ばれた。
伝えられるようにこの岩窟の洞穴こそ、まさに西叡山の神霊としての奥の院にふさわしいものと思った。
不恩義なことに、五七一メートルの山頂近くの岩窟の洞穴に、どうしてこのような美しい水が漂っているのか、不可思議は一段と深まりを増した。
この金氷銀水を源流とした山田川が、本流桂川に流れ込む深淵を、黄金淵(こがねぶち)と伝えられていることも、深い謎に包まれた不可思議の伝承である。
この黄金渕で身を浄め、金水銀水を神仏の霊水として、心身の浄化と修験に励んだ古代人の面影が偲ばれる。
この金水銀水は、仁聞菩薩の「隠し水」とも伝えられている。

 神秘と驚異に包まれて、全員しばし無言でいたが、私の励ましで全員交互に洞穴に入った。現代この秘境を訪れた者は極めて稀で、探し求めるのに、非常な困難をともなうことが人々の間に伝わっていた。それに大蛇のこともあって、人々は容易に足を運ばなかったそうである。

 子どもだちと共に、千古の秘境を訪れた感激と喜びに満ち溢れ、わらび取りも忘れて帰路についた。